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憎しみの連鎖をほどく 日本から、あなたとともに

パレスチナ若手リーダー来日のご報告①:広島の記憶とガザの未来

この度8月5日から10日にかけて、パレスチナの主要政党・組織や市民社会の若手リーダー14名を戦後80年の広島および東京に招聘し、和平に向けた対話会合や様々なアクターとの対話の場を創ることができました。改めて、日頃より温かなご支援をいただいている皆様に心より感謝申し上げます。

今回の来日は、戦争による荒廃から立ち上がり、過去の反省を踏まえて平和国家として歩むべく試行錯誤してきた日本の経験を学びつつ、パレスチナの未来に向けたビジョンを描くとともに、国際社会で彼ら彼女らが仲間を増やしていく機会とするために実施しました。

※パレスチナ和平に向けた対話会合の趣旨についてはこちらの記事をご覧ください。

来日したのは、これまでにも中東各国やオンラインで会合を重ねてきたメンバーです。若者たちの背景は多様で、2023年10月7日以降のガザへの攻撃を数ヶ月経験し、その後エジプトへ避難してきた人、トルコなどの留学先からガザに帰国できなくなった人、レバノンで難民旅券を保持する人や一次旅券を持つ人など、通常の渡航手続きでは想定されない条件を抱える人も少なくありませんでした。

さらに、ヨルダン川西岸からの参加者には様々な制約がありましたが、何度も調整を重ねてようやく来日が実現しました。

だからこそ今回の日本での経験は、彼ら彼女らにとって非常に大きな意味を持ちました。そして私たちとしても、戦後80年の節目で日本の多くの方のご協力のもとでこの機会を実現できたことに、大きな意義を感じています。

本記事ではまず、若者たちの広島での経験についてお伝えします。

戦後80年の広島で平和を考える

8月6日、若者たちは原爆の日を迎えた広島を訪れました。この日の平和記念公園周辺は国内外からの来訪者であふれ、さまざまな言語が飛び交っていました。

まず若者たちは、VRを通じて原爆投下前後の広島の光景を体験するツアーに参加しました。数か月間、攻撃下のガザで暮らし隣国へ避難してきた女性は「私はこの光景をガザで現実として経験した」と語りました。

VRでの体験

一方で、映像で見た焼け野原の映像と、今立っている平和な広島の街並みが結びつかず、その復興ぶりに驚きを隠せない若者もいました。同時に、そうした復興の様子から「ガザの未来は私たちの手に掛かっている」と決意する姿も見られました。

続いて訪れた平和記念資料館では、事前に調べてきた情報をもとに、爆発の衝撃で人影が焼き付いた石を探す若者もいました。

「言葉で感想を言うことはとても難しい。言葉では足りない。ただ、強く心に響くものがあった」

そうした言葉から、この日の体験が彼ら彼女らの胸に静かに響いたことが伺えます。

平和記念公園での献花

被爆三世との交流で深まる問い

当日の夜には被爆三世の方との交流会を開催しました。

お祖母様の経験談をもとに原爆投下当時の状況や現在への影響などがリアルに語られたため、若者たちも改めてその被害の甚大さを実感している様子でした。

一方で「絶望的な状況でも、幼かった祖母が家に帰ってボロボロになった天井から青い空が見えたことが希望になった」という体験談や「誰が原爆を落としたかという責任追及よりも、原爆投下をもたらした戦争がなぜ起きてしまったか、その原因を考え未来に伝えていくことが大切」といった言葉は、特に彼ら彼女らのヒントになったようです。

被爆三世の方との交流

他にも交流会では、 ・日本は今、アメリカをどう見ているのか ・日本人とパレスチナ人のメンタリティの違い ・敵とは何か、どれだけ人が亡くなっても和平はありえるのか ・なぜ日本はアメリカをそれほど非難しないのか など、率直な疑問や意見が飛び交いました。

歴史や背景が異なるため、日本とアメリカの関係をそのままパレスチナとイスラエルに置き換えることはできません。しかし、日本の歴史経験から得られる視点は、彼ら彼女らの新たな刺激と気づきに繋がりました。

実際、若者たちの間でも「自分の立場を相手にどう伝えるか」「他者の歴史から何を学び取るか」というテーマが自然と芽生えていました。

和平に向けた対話会合

翌日、対話会合の1日目を行いました。ここでは8月9日に予定されている東京会合の前段として、主に以下2つのアジェンダについて議論しました。

アジェンダ①:長期的なビジョン

まずは長期的に目指されるべきビジョンについて話し合われました。

ここでポイントになるのが、一つのビジョンとして国際社会から提案されている二国家解決案です。しかし、イスラエルによる攻撃や入植を重大な国際法違反として非難する声が多数を占め、イスラエルの存在そのものを認めない立場と、現実として認めつつパレスチナの主導権確立を求める立場に分かれ、議論は紛糾しました。

一方、過去の教訓として1993年のオスロ合意が失敗したことから、新たな和平プロセスの必要性については意見が一致しました。その中での最優先課題として挙げられたのは、イスラエルによる入植と攻撃の即時停止、パレスチナの主導権確立、教育・インフラの整備などでした。

そして和解や補償は中長期的なビジョンとして議論されるべきであるとの意見や、「ユダヤ人も戦後ドイツに補償をさせたのだから、自分たちも戦略的にやっていく必要がある」などの意見も表明されました。

広島での対話会合(2025年8月7日)

アジェンダ②:ビジョンを実現するための各ステークホルダーの役割

次に、そのビジョンの達成のために各ステークホルダーが何をすべきなのかを議論しました。

ここでは、イスラエルによる攻撃や入植の停止を実現する上でも、国際社会(特に日本政府)への働きかけや国連安保理改革、国連決議に向けたロビー活動の強化が重要であるとの意見が述べられました。

そして国際社会からの支持を得るためにも「国際社会が支援をしてくれない」とただ批判するだけでなく、自分たちの側から何ができるのか、そしてその一つの方法としてパレスチナが団結し、真に統合されたビジョンを創ることも必要であるという意見も上がりました。

そうした統合的なビジョンをつくる上では、パレスチナ自治政府、パレスチナ解放機構(PLO)、各政党、市民社会が担う役割が極めて重要です。会合ではそれぞれのアクターが、復興、女性・若者を含めた統一選挙、子どもや若者の能力強化など、パレスチナ内部から変化を起こすための方策が話し合われました。

私たちとしても、パレスチナの置かれた窮状を打開する上では、若きリーダーたちの役割やこれまでとは異なる新たな視点が極めて重要であることを繰り返し伝えています。

広島での経験を活かし、次なるステップへ

これらの議論の背景には、前日までに広島でさまざまな人から学んだ経験や言葉がありました。実際に広島の過去の記憶と復興を垣間見たことで、パレスチナの未来に対する議論にもこれまで以上に現実味が増したのです。

もちろん、1度きりの対話で簡単な答えが出るものではありません。しかしそれでも、戦後80年の広島で和平への道を考えた経験は、彼ら彼女らの決意をさらに強くするものでした。

※次回以降の記事では、この対話会合を踏まえた東京での対話や経験についてご報告します。

今後もパレスチナの若きリーダーたちが自らの未来を描き、和平に向けた新たなアプローチを実現できるよう私たちも尽力してまいります。引き続き皆様の温かなお力添えを何卒よろしくお願いいたします。

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