「もう一つの、まだ終わっていない戦争の重さを感じながら、私はヒロシマの地を踏んだ。歴史を辿る訪問者ではなく、現在に苛まれるサバイバーとして。」
2025年8月6日、被爆80周年を迎えた広島を訪ね、平和記念資料館の見学や被爆三世の方との交流をしたパレスチナの若手リーダーたち。
そのうちの一人は、10.7以降の170日間をガザで過ごしエジプトに逃れた経験を通して、広島での体験を詩にしてくれました。
ガザの眼から見たヒロシマ
もう一つの、まだ終わっていない戦争の重さを感じながら、私はヒロシマの地を踏んだ。歴史を辿る訪問者ではなく、現在に苛まれるサバイバーとして。
原爆投下から80周年の人混みに立った時、私はまるで、この式典に密かにガザを招き入れてしまったかのように感じた――肌に残るその塵、喉元につかえるその沈黙を。
資料館の中の空気は重く、まるであの爆撃から時が止まってしまったかのようだった。
私はある子供の物だった自転車の前で足を止めた。金属部分が捻じれ、その無垢さは炎に呑まれていた。血に染まった制服を見た。8時15分で永遠に時間を止めた時計を見た。
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多くの人々にとって、これらは歴史の断片に過ぎない。私にとって、これらは鏡だった。既に同じものを見ている――ガザの路上で、瓦礫の下で、家に帰ることのなかった子供たちの手の中で。
全ての展示物が囁いた。「これはここで起きたのだ」と。
そして私の体が応えた。「これはまた起きています」と。自身が2つに分裂していくのを感じた――訪問者の私と、展示される私に。
私の生存の物語そのものも、このガラスの向こう側に展示されていたかもしれない。
私の家の破片、私の町の灰、消されては血で描き直され続ける街の鼓動も。そして気づいた。私が見ているのはヒロシマの廃墟だけではないと。
ガザの廃墟も自分の内に抱えているのだと。![]()
ヒロシマの生存者が彼らの血に残る放射線について語る時、私は私たちの中に残る戦争の爪痕を想った。飢えが骨に染み込み、悲嘆が呼吸の仕方を変えていく様を。
恐怖が子どもの神経回路を書き換え、沈黙でさえも危険と感じさせる様を。私たちの体そのものもまた、資料館であり――いかなる法廷も未だ認めていない傷の、生きた記録なのだ。
資料館を出ると、目眩がした。過去と現在が崩れ落ちて一つになったかのような衝撃だった。ヒロシマは80年前の存在ではなく、昨日のガザだった。今日のガザでもあった。
そして、明日のガザであり続ける。
行動を伴わない追憶は別の形の忘却なのだ、と世界が学ぶまで。私は振り払うことのできない真実を見た。
ヒロシマとガザは、時間ではなく証言によって結ばれている。両方の街は、私の胸に永遠に刻まれた。一方は記憶され、もう一方は今も燃え続ける。
そして私は――沈黙を拒む生存者なのだ。
ここ日本から、彼ら彼女らのプロセスを支える
この詩からは、彼ら彼女らの背負う痛み・重みと同時に、広島訪問や原爆3世の方との交流から多くを感じ、決意を新たにしたことが伝わってくるように思います。
私たちとしても、日本の皆さまの温かなご支援をもとに彼ら彼女らの新たなプロセスを引き続き支えていく覚悟です。
今後とも、皆様の温かなお力添え、そしてご寄付を通じたご参加を何卒よろしくお願いいたします。
