いつも温かなご支援を誠にありがとうございます。
前回のご報告から時間が空いてしまいましたが、引き続き新たな和平プロセスに向けた対話や交渉に加え、ガザでの給水・食料支援といった人道支援や心理支援を継続してきました。
※ガザでの人道支援は皆様からのご寄付やジャパンプラットフォームからの助成をもとに実施しています。
日本ではイランをめぐる情勢についての報道が増えている一方、ガザでは現在も厳しい状況が続いており、人々の生活にも影響が及んでいます。
今回は活動の中で聞かれた声をもとに、現在のガザの人々が置かれた状況の一端をご紹介します。大局的な情勢に関するニュースだけでは捉えにくい現地のリアルを、ぜひ知っていただければ幸いです。
「自分のつらさを話すこと」さえ難しくなっている
私たちが進めている心理支援の中で「自分のつらさを話すこと自体が難しくなっている。」という声が上がるようになりました。
ガザではほとんどすべての人が何らかの大きな困難を経験しており、例えばある人が「これまで5回も避難を繰り返してきて、本当につらかった」と話したとしても「私は10回避難した」と別の人から返されてしまう。家族を亡くした人もいれば、家を失った人、怪我を負った人もいます。
だからこそ、自分の困難について話しているうちに、互いの苦境を比較するような、いわば「不幸合戦」のような状態になってしまうことがあると言います。その結果「自分より大変な人がいるから」「自分のことを話しても仕方がない」と考え、自身の苦しさを言葉にすることをためらう人もいます。
同じ環境に置かれた人同士だからこそ共有できることがある反面、むしろだからこそ話しづらくなってしまうこともあります。
こうした声を踏まえ、私たちはガザ内部での支え合いや傾聴に加え、外部の人間が関わり、話を聞く機会を設けることにも一定の価値があると考えています。
苦しさを比較するのではなく、自分の経験や感情をそのまま話すことのできる場を継続的につくることができないか、現地の人々とも連携しながらベストな方法を模索していきます。
人々が抱く複雑な感情
一方、イランをめぐる情勢についてはより複雑な感情が語られています。
ある方は、イラン情勢の悪化によってイスラエル社会にも恐怖が広がっている様子を目にし
「正直なところ、ある種の安堵を感じた」「失われていた自分たちの尊厳の一部を取り戻したように感じた」と話していました。
この「安堵」は、イスラエルの人々が苦しむことを喜んでいるという意味ではありません。
自分たちの恐怖や苦しみが壁の向こう側に伝わっていないと感じてきた中で、イスラエル側にも警報が鳴り、人々が身の危険を感じている様子を目にした時「自分たちだけが恐怖の中に取り残されているわけではない」と感じたことによるものです。
私たちはこうした感情の善悪を外から判断すべきではないと考えます。仮に憎しみを手放すよう求めれば、その人が経験してきた現実を見えなくしてしまうからです。まずはこの言葉が生まれた背景ごと受け止める必要があると考えます。
同時に、こうした声があるからといって「ガザの人々は皆イスラエル側に恐怖を感じてほしいと思っている」と受け取るのも違います。ガザの中には「イスラエルの人々全員が虐殺者だとは思っていない」「憎しみや報復からは何も生まれない」と考えている人もいます。
このようなリアルをどう捉え、向き合い、前に進むのか。
正解はありませんが、まずは善悪二元論で捉えないこと。だからといって責任を棚上げにしたり曖昧にしたりしないこと。そして相手をひとつの大きな「敵」として見るのではなく、一人一人の人間として見直すこと。
こうして少しずつ対話を積み上げていくことでしか、真の解決は見出せないと私たちは考えています。
引き続き皆様と共に
今回ご紹介したのは、ガザで暮らす人々から聞かれた声の一部です。
先の見通せない状況が続く中でも、私たちは一人ひとりの声に耳を傾け、現地で必要とされる人道支援や心理支援、何より和平に向けた対話の場をさらに広げていきます。
この歩みを止めないために、皆さまの温かなご支援をお寄せいただけましたら幸いです。